| 細胞膜研究室 (Biomembrane Signaling Laboratory) 研究テーマ:細胞膜情報伝達における糖脂質の機能解析 (一般の方へ) 私たちのからだは約60兆個の細胞からできています。細胞は脂質によって作られる膜(細胞膜)によって外界と仕切られています。細胞膜を構成する脂質にはリン脂質やコレステロールがよく知られていますが、それ以外に糖鎖(糖が鎖状につながったもの)と脂質が結合した「糖脂質」と呼ばれる一群の物質が存在しています。 糖脂質は古くから病気に関わっていることがよく知られています。たとえば細胞が癌化すると糖脂質の組成や量が大きく変化することが知られて、癌化のマーカーとして実際に利用されています。また糖脂質は糖鎖部分を細胞の外側に突き出した形で細胞膜に存在していますが、その糖鎖部分に病気を引き起こす様々な分子が結合することが知られています。細菌毒素(病原性大腸菌O-157が出すベロ毒素やコレラ菌が出すコレラ毒素など)やウイルス(エイズウイルスやインフルエンザウイルス)などの身体の外から侵入するもの、そしてアルツハイマー病を引き起こすアミロイドβタンパク質や自己免疫疾患で作られてしまう糖脂質抗体などの身体の中でできてしまうものがあります。しかし、これらの病気の発症と糖脂質が具体的にどのように関わっているかについては、まだよく分かっていません。 それは健康な状態で本来糖脂質が生体内で持っている役割が、未だにはっきりと分かっていないためです。私たちは糖脂質の機能が解明されて、はじめて根本的な病気の理解、診断、治療法の開発などが可能になると考えています。 私たちは、生体内における糖脂質の役割を明らかにし、糖脂質が関わる病気がどのように引き起こされるのかを分子レベルで理解し、診断や治療へ応用していくことを目指しています。 私たちが行なっている研究 細胞は様々な情報を外界から受け取り、細胞膜を介して細胞内に伝達することにより特有の機能を発揮します。これは細胞膜情報伝達と呼ばれ、主に細胞膜に存在している情報伝達分子によって行なわれています。最近私たちは、糖脂質が細胞膜上で集合し様々な情報伝達分子と結合することにより、膜を介する情報伝達の中継点として働いていることを見出しました(図1)。現在、その生理的意義を明らかにし、さらに病気との関わりについて研究しようとしています。
(専門の方へ) 研究の背景 スフィンゴ糖脂質は細胞膜の構成成分の一つで、脂質部分が膜に埋め込まれ糖鎖部分が細胞外に露出したかたちで細胞表層に存在している。その構造的特徴から細胞の認識機構に関与するものと予想されてきて、近年スフィンゴ糖脂質は個体発生に必須であることがスフィンゴ糖脂質生合成酵素の遺伝子ノックアウト実験により証明された。しかし、スフィンゴ糖脂質の生体内における役割についてはまだ解明されておらず、ポストゲノム時代における重要な研究標的として残されている。 研究内容 (1) スフィンゴ糖脂質の機能解明 最近、スフィンゴ糖脂質は細胞膜上で集合しミクロドメイン(脂質ラフト)を形成することで機能していることが分かってきた。脂質ラフトは様々なシグナル伝達分子が会合し膜を介するシグナル伝達の中継点として働いている。脂質ラフトは安定な構造体ではなく刺激に応じて集合状態を変化させることでシグナル伝達を調節していると考えられているが、スフィンゴ糖脂質の集合メカニズムや役割についてはまだほとんどわかっていない。現在までに当研究室において、細胞表面のスフィンゴ糖脂質を酵素で破壊すると脂質ラフトを介するシグナル伝達が阻害されることから、スフィンゴ糖脂質が重要な役割を果たしていることが示された。 (2) 脂質ラフトの構造解析とシグナル伝達調節機構の解明 脂質ラフトは主な構成成分であるスフィンゴ糖脂質の他に、コレステロール、GPIアンカー、イノシトールリン脂質、複合糖質、ラフト会合タンパク質といった特異的な分子群から成る複合体であると考えられている。脂質ラフトにおけるシグナル伝達機構を理解するためには、複合体の全容を明らかにし、それらの相互作用を解析する必要があると考えられる。 現在までに当研究室において、スフィンゴ糖脂質に会合している分子を抗スフィンゴ糖脂質抗体による免疫沈降で共沈させ単離することを試み、小脳神経細胞においてGPIアンカー神経細胞接着分子TAG-1、srcファミリーチロシンキナーゼLyn、Csk-binding protein Cbp, 三量体Gタンパク質Goαサブユニットが会合していることを報告してきた(図2)。さらに細胞を抗スフィンゴ糖脂質抗体で処理するとsrcファミリーキナーゼが活性化することを見つけ、機能的にもカップリングしていることを示した(図3)。
(3) 病気と脂質ラフトとの関わり スフィンゴ糖脂質は様々な病気に関わる分子と会合することが知られている。病原性大腸菌O-157が出すベロ毒素、エイズウイルス、アルツハイマー病における痴呆の原因物質であるアミロイドβタンパク質、クロイツフェルト・ヤコブ病などのプリオン病を引き起こすプリオンタンパク質、ギラン・バレー症候群をはじめとする自己免疫疾患で血中に見られる抗スフィンゴ糖脂質抗体などである。これらの疾患関連分子の会合が脂質ラフトの集合状態や安定性に何らかの影響を及ぼすことが予想される。上記の病気の発症機構についてはまだ不明な部分が多いが、「脂質ラフト機能の異常」が原因となって重篤な病態を引き起こしている可能性が考えられ、本研究をとおして検討していきたい。
三量体Gタンパク質は、α,β,γのサブユニットから成り、細胞表面のGタンパク質共役受容体から細胞内の効果器にシグナルを伝える分子スイッチとして働いている。刺激のない状態においては、αサブユニットはGDPと結合しており三量体Gタンパク質は活性を持たない。活性化した受容体から刺激を受けると、αサブユニットに結合しているGDPが離れてそこにGTPが結合する。この交換によって三量体はαサブユニットとβγ複合体の2つの成分に解離する。 ラット小脳初代培養神経細胞において三量体Gタンパク質Goをマストパラン(スズメバチ毒素ペプチド)または非水解GTPアナログ(GTPγS)で活性化するとαサブユニットのみが脂質ラフト画分に移行することを見出し、実際に小脳の発生初期で活性化にともなう脂質ラフト画分への移行がおこっていることを示した[Yuyama et al. J.Biol.Chem., 282, 26392-26400 (2007)]。そこで何が生体内でこの反応をおこしているかを検討したところ、Gタンパク質共役7回膜貫通型受容体CXCR4の生理的リガンドであるSDF-1αで同じ反応を示すことを見つけた(図4)。CXCR4が発現している小脳顆粒神経細胞をSDF-1αで処理すると、CXCR4およびGタンパク質βγサブユニットは非ラフト画分に残るが、GoαはGTPγS結合活性が上昇し(活性化し)、脂質ラフト画分(図4の白色膜領域)へ移行した。そしてGoαは成長円錐画分に濃縮していたことから成長円錐の観察をおこなったところ、SDF-1αまたはマストパランで処理すると成長円錐退縮がおき、百日咳毒素前処理でそれが阻害されることがわかった。試験管内における成長円錐退縮という現象は、生体内における反発分子による成長円錐誘導を反映するものであることが知られている。よってSDF-1αによるGoαの脂質ラフトへの移行は、小脳顆粒神経細胞の軸索伸長に伴う神経細胞移動に関与していると考えられる。
構成メンバー 笠原浩二(Kohji Kasahara)副室長 兼田瑞穂(Mizuho Kaneda)研究員 飯田和子(Kazuko Iida)研究員 三木俊明(Toshiaki Miki)研究員 原 裕太(Yuta Hara)研修生:東京理科大学理学部化学科 湯山耕平(Kohei Yuyama)特別研究員(現所属:長寿医療センター研究所) 臨床研ニュースの関連記事 プロジェクト研究成果報告 (2007年7月 第366号 1-5ページ) プロジェクト研究紹介 (2005年12月 第349号1-4ページ) 独立研究員紹介 (2003年8月 第321号9-10ページ) 海外学会レポート(1) (2004年6月 第331号12ページ) 海外学会レポート(2) (2002年6月 第307号8ページ) 最近の業績 主な論文 1. Kasahara, K., Guo, L., Nagai, Y., and Sanai, Y. Enzymatic assay of glycosphingolipid sialyltransferase using reverse- phase thin-layer chromatography. Anal. Biochem. 218, 224-226, 1994 2. Nara, K, Watanabe, Y, Maruyama, K., Kasahara, K., Nagai, Y and Sanai,Y. Expression cloning of a CMP-NeuAc:NueAca2-3Galb1-4 Glcb1-1'Cer a2,8-sialyltransferase (GD3 synthase) from human melanoma cells. Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 91, 7952-7956, 1994. 3. Kasahara, K., Watanabe, Y., Yamamoto, T., and Sanai, Y. Association of src family tyrosine kinase Lyn with ganglioside GD3 in rat brain. Possible regulation of Lyn by glycosphingolipid in caveolae-like domains. J. Biol. Chem. ,272 29947-29953, 1997 4. Kasahara, K., Watanabe, K., Takeuchi, K., Kaneko, H., Oohira, A.,Yamamoto, T., and Sanai, Y. Involvement of gangliosides in GPI-anchored neuronal cell adhesion molecule TAG-1 signaling in lipid rafts. J. Biol. Chem. ,275 34701-34709, 2000 5. Kasahara, K., Watanabe, K., Kozutsumi, Y., Oohira, A., Yamamoto, T. and Sanai, Y. Association of GPI-anchored protein TAG-1 with src-family kinase Lyn in lipid rafts of cerebellar granule cells. Neurochemical Res. 27 823-829, 2002 6. Hirai M, Koizumi M, Hirai H, Hayakawa T, Yuyama K, Suzuki N, and Kasahara K Structures and dynamics of glycosphingolipid-containing lipid mixtures as raft models of plasma membrane. J.Phys.:Condens.Matter 17 S2965-S2977, 2005 7. Yuyama K, Sekino-Suzuki N, Sanai Y, Kasahara K Translocation of activated heterotrimeric G protein Gαo to ganglioside-enriched detergent-resistant membrane rafts in developing cerebellum. J.Biol.Chem., 282, 26392-26400, 2007 総説等 1. Kasahara K., and Sanai Y Possible roles of glycosphingolipids in lipid rafts. Biophys. Chem. 82 (2/3) 121-127, 1999 2. Kasahara K., and Sanai Y Functional roles of glycosphingolipids in signal transduction via lipid rafts. Glycoconjugate J. 17 152-162, 2000 3. Kasahara K., and Sanai Y Functional roles of glycoconjugates in signal transduction via lipid rafts. Trend.Glycosci.Glycotech. 13(71) 251-259, 2001 4. Kasahara K., and Sanai Y Involvement of lipid raft signaling in ganglioside-mediated neural function. Trend.Glycosci.Glycotech. 13(74) 587-594, 2001 5. Yuyama K, Sekino-Suzuki N, Sanai Y and Kasahara K Lipid rafts in cellular signaling and disease. Trend.Glycosci.Glycotech. 15(83) 139-151, 2003 6. Yuyama K, Sekino-Suzuki N, and Kasahara K Signal Transduction of Heterotrimeric G Proteins in Lipid Rafts Trend.Glycosci.Glycotech. 19(105) 19-27, 2007 7. 佐内豊 笠原浩二 「ガングリオシド結合蛋白質−糖鎖機能の実体を解くカギとなるか」 実験医学 羊土社 14(14) 2092-2098 (1996) 8. 笠原浩二 「シグナル伝達の場としての細胞膜カベオラ」 蛋白質核酸酵素 共立出版 41(10) 1508-1509 (1996) 9. 笠原浩二「脂質二重層を漂ういかだスフィンゴ脂質とコレステロールがつくる動的な集合体」 蛋白質核酸酵素 共立出版 42(15) 2550-2551 (1997) 10. 笠原浩二 佐内豊 「スフィンゴ糖脂質ミクロドメイン/カベオラとシグナル伝達」 蛋白質核酸酵素 共立出版 43(16) 2522-2530 (1998) 11. 笠原浩二「蛋白リン酸化分析」 実験医学別冊バイオマニュアルUPシリーズ分子生物学研究のための細 胞実験法第2版 羊土社 218-226 (1999) 12. 笠原浩二「糖脂質とシグナル伝達」Glycoforum 糖質科学のことば Trend.Glycosci.Glycotech. 13 Supplement GL-B04J http://www.glycoforum.gr.jp/science/word/glycolipid/GLB04J.html 13. 笠原浩二、渡辺和忠、大平敦彦、山本雅、佐内豊 : 「GPIアンカー型神経細胞接着分子TAG-1の細胞膜ラフトを介するシグナル伝達 」 膜 25 (4) 187-188 (2000) 14. 笠原浩二 佐内豊 中村京子 橋本康弘 「糖脂質分子集積/ラフトと細胞機能」 蛋白質核酸酵素 共立出版 46(7) 812-820 (2001) 15. 笠原浩二 佐内豊 「神経系細胞膜ラフトとシグナル伝達」 蛋白質核酸酵素 共立出版 47(4) 333-337 (2002) 16. 笠原浩二、佐内豊 「糖脂質と糖脂質ミクロドメイン」わかる実験医学シリーズ ポストゲノム時代の糖鎖生物学がわかる pp44-52 (谷口直之/編)羊土社 17. 笠原浩二、佐内豊 「脂質ラフトと複合糖質」 蛋白質核酸酵素 共立出版 48(8) 1164-1170 (2003) 18. 笠原浩二 「アルツハイマー病発症の鍵を握るガングリオシド」実験医学 羊土社 22(12) 1719-1720 (2004) 19. 鈴木直子、湯山耕平、佐内豊、笠原浩二 「神経系における脂質マイクロドメイン」 蛋白質核酸酵素 共立出版 49 2397-2403(2004) 20. 湯山耕平、鈴木直子、佐内豊、笠原浩二 「神経細胞接着分子TAG-1の脂質ラフトを介するシグナル伝達」 膜 30(2) 91-93 (2005) 21. 笠原浩二 「細胞膜糖脂質の機能」 化学と教育 53(8) 428-431 (2005) 22. 笠原浩二 「脳神経系におけるガングリオシドの機能」 実験医学 23(13) 2029 (2005) 23. 湯山耕平、鈴木直子、笠原浩二 「脂質ラフトと3量体Gタンパク質」 蛋白質核酸酵素 53(12) 1558-1563 (2008) 24. 湯山耕平、鈴木直子、笠原浩二 「三量体Gタンパク質と脂質ラフト」 生体の科学 60(3) 181-186 (2009) 受賞歴 (1) 笠原浩二:2001年度(第4回)日本糖質学会奨励賞 「細胞膜ミクロドメイン/脂質ラフトを介するシグナル伝達におけるガングリオシドの機能」 (2) 笠原浩二:2001年度 東京都職員表彰(研究、発明・発見の分野) 「脳神経系における糖脂質の機能解析」 (3) 湯山耕平:第7回日本糖質学会ポスター賞受賞 「三量体Gタンパク質Goの神経細胞膜ラフトにおけるシグナル伝達とガングリオシド」 2009年4月1日作製 |